今日は『子ども報恩講』の日でした。

献花をお持たせ下さり、誠にありがとうございました。

年少・年中さんが野菜を収穫していたら、近くにいた年長さんも来て「やりた~い」と言って手伝ってくれました。

お供え用のカゴに藁(園の田んぼで採れたもち米の藁)を敷いて、並べていきました。

野菜を収穫した後の畑に男の子たちが虫探しを、すごい勢いで始めました。冬眠?中のダンゴ虫や何かの幼虫も見つけていました。

見ていて面白いくらいでした。

この報恩講は、年長さんのもち米栽培活動の『まとめ』でもあります。

上の段がみんなが育てたもち米で出来た、お餅です。(CMで、庭で育てたお米を見て「たったこれだけ?」というのがありましたが、あの量は正しいと思いました。)

法要のお勤めも上手にできており、お話もしっかりと聞くことが出来ていました。

(話の概要)

『私たち人間は災害やコロナの時など、命に順番をつけなければならない時があります。でも、仏様はどの人の命もみな等しく大切(順番はない)である、とおっしゃってくださっています。どんな時でも、いつの時代でも、決して変わらず捨てず(心を)救いとるから、安心して信じて私(仏様)に任せなさい。と言ってくださるお方が阿弥陀如来様です。その感謝の行為が南無阿弥陀仏のお念仏であり、そのみ教えをお伝えくださった方がしんらん様です。』

年長さんには難しいと思いながらも、伝えました。

宗教的活動で大切なことは、頭で理解することではなく、心の眼を開いて心で感じることが出来るようになっていくことだとよく言われます。

(自分もまだまだですが。)

その感覚が、人を思いやり、自然や物への感謝にも繋がっていくことだと感じています。

今日来られたカメラマンの方が「今わからなくても、これから、何かの時にそういえばそんな経験があったな、と思ってくれたら良いのですよね。」とおっしゃっておられました。本当にその通りだと思います。これが、『仏縁をつくる』こと、だと感じました。

 

 

みんなが、少しでも、人やモノや自然に感謝のできる人になっていってくれることを、心から願っています。

それが、この世界でこれから生きていく子どもたちの一番大切な感覚だとも、思うからです。

(浄土真宗の「まことの保育」と「SDGs-17」はとてもつながっている、と思っています。)